2018年10月1日月曜日

その2「元」漫画家になったわけ






















別れたら元カノだし離婚すれば元妻だから、
描くのやめたら元漫画家である。
彼氏や夫と別れるのに相応の理由があるように、
漫画家やめたのにも理由がある。

ぶっちゃけパワハラである。

もう時効だと思うので書いちゃうけど、
4コマ漫画専門誌(というものがこの世には存在する)で、
零細連載いただいたわたしは、故郷大阪から上京し、
高い家賃に四苦八苦しながらも、貧乏生活を謳歌していた。
なにより「いつかメジャーになってやるんだい」的な、
まあ誰しもが考えそうな夢を見ていた。

ちな4コマ漫画を仕事に選んだのは、
単純に描いたものが採用されたからである。
ストーリー漫画も描いてはいたが、
話はとにかく絵が壊滅的で(笑うしかない)
まるで芽が出なかった。
当時の4コマ漫画界には若い女性が少なく、
そういう意味での希少価値があったんだろう。
デビューまでは割と簡単だった記憶があるし、
知り合いの女子も大抵仕事にありついていた。

そんな折、会社の都合で担当が変わった。
漫画の世界を知らない人のために一応解説すると、
漫画家には担当編集者というまあ指導員みたいな人がつく。
実はこの指導員次第で作品の成功率が乱高下する。

横道だが、持ち込み先で酷評うけたら、
さっさと見切りつけて別のとこ持ってった方がいい。
編集者には相性もあるし能力にも個人差がある。
病気にセカンドオピニオンが必要なように、
見立ては人によって違う、これ事実。
大ブームになった「進撃の巨人」が、
初めの持ち込み先では酷評うけて門前払いだった逸話もある。
漫画家志望者にとって「最初の関門」に当たるのは
「どんな編集者に出会うか」である。

閑話休題。

話を戻すと、この担当編集者がいわゆるエネだった。
当時20代のわたしに、#Me Tooかましてきたんだよね。
妻子有りのおっさんが何やっとんねん。
それを拒否るとパワハラが始まった。
漫画家なんて立場弱いもんで、
ネーム(原案みたいなもの)に、
担当者がOK出さなきゃ描くこともできない。
挙句に「才能無い。絵も下手。見込み無いからやめろ」
と遠回しにしつこくディスってくる。

今なら弁護士無料相談とか行ったんだろうけど、
世間知らずの小娘にそんな知恵のあるわけがなく、
頼る相手もないまま、どんどん自己否定入ってくる。
とうとう精神を病んでパニック障害発症した。
と、言ってもパニック障害の自覚を持ったのは後の話で、
当時はそんな症例があることも知らず、
編集部に向かう電車の中で過呼吸を起こし
「あたし心臓悪いみたい。突然死したらどうしよう。」て思ってた。

そんな状態で連載は当然打ち切りになった。

その後わたしは一切ものを描けなくなった。
漫画原稿用紙(そういうものがあるんです)を見ると、
吐き気と動悸に襲われるようになった。
漫画の事を考えると「お前には才能なんてない」
って言葉が浮かんで打ち消せない。
症状は徐々に悪化して、漫画本を見るのが怖くて、
しまいには本屋にもコンビニにも行けなくなった。

そんな状態の中、
とにかく食べていく道を探す必要があったわたしは、
介護ヘルパー(介護職員初任者研修)のスクールに通い始めた。
これには理由があったんだが、それについては後述。
人生ってのはわからないもので、
そこで大げさでなく「運命の出会い」を果たすことになる。

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